和田の路地を舞台に、様々な体験やショップが楽しめる和田de路地祭。そのはじまりは、ただ集客を目的としたイベント企画ではなかった。「和田」という古き良き日本の息吹を感じさせる町を、和田に住む人々を守っていきたい。そんな想いが生んだ、ひとつの表現方法だったのだ。
かつて高浜町は海水浴の町として知られた日本有数のリゾート地だった。なかでも和田地区は町内最大の海水浴場を有し、たくさんの民宿が軒を連ねたリゾートの中心的エリア。一時は民宿収容力で日本一、宿泊施設数でも全国6位というほどに発展していた。
だが、時代の移り変わりとは残酷なもの。海水浴客は宿泊型から日帰り型へと変化していき、コンビニの普及により民宿で食事をとらないスタイルも増えた。当然、民宿業を営む町民たちも、生活のためサラリーマンへと職を変えていく。
地域外で仕事をする人が増えたこともあり、町民同士のつながりは薄らいでいった。特に若者と年配者では、お互い名前もわからないような状態にまで『他人』になってしまっていた。
このままではいけない。
人と人の、人と地域の「つながりなおし」をヴィジョンとした動きがはじまった。
海水浴リゾートとして賑わっていた和田の民宿群は、当時の姿を残したまま、今なお民宿として、住居として継承されている。この遺産を地域コミュニティが生かされる形で活用できないか。この発想が、今日の和田de路地祭へとつながる、大きな第一歩だった。
「つながりなおし」は行政だけでは達成しない。住民と学生を含めたトライアングルで行う必要がある。そのトライアングルが最初に行ったのは、和田の散策マップの作成。遊び場、風景、お地蔵さんなど学生のフィードワークや住民の話をもとに掘り起こし、世界にひとつだけの手づくりマップを完成させる。情報や意見を出し合うことで、人と人が強く結びつきはじめた。
そして、新たな和田の魅力が詰まった散策マップをパートナーに、和田住民主体で行うイベントが開催されることになった。和田de路地祭の誕生だ。地域住民の「できたらいいね」を学生の若いバイタリティで「やりましょう」と後方支援する、そして行政が協力していくといった理想的な構図ができあがり、町内外をまきこんだ大きなイベントとしてスタートを切った。
父母、祖父母の年代の人たちと、子どもや孫の世代の人たちが、同じデザインのTシャツを着て、同じ目的に向かって、同じ目線で祭を楽しむ。はじめはぎこちなかった関係も、どんどん親密になっていき、お互いの苦手な部分は補いながら、得意な部分は褒めあいながら、まるで家族のような「ひとつ」になっていく。性別も、歳も、生まれも、育ちも、なにも関係なく、いま和田に生きる人みんなが協力することで、和田de路地祭は成り立っている。
路地祭には打ち上げ花火のような派手さはない。だが、地元民が力を合わせて開催する「コミュニティイベント」であるからこそ、他のイベントにはないぬくもりがある。幅広い年代への細やかな心配り、気持ちが和むアットホームな雰囲気など、老若男女すべてを笑顔で受け入れる温かさを持っている。
ひとつひとつ手探りではじめた和田de路地祭も、今年で10年目の節目を迎える。例年より良くあろうとする活力にあふれながら、あいかわらずの優しさを漂わせて、きっとたくさんの人がにっこり、笑顔で楽しんでくれる。そして主催者である地元人や学生にも、満面の笑みが浮かぶことだろう。和田の地域は、確かにつながりを取り戻しつつある。