櫓龍 初代会長:奥本秀樹 氏 インタビュー
16年前、漁火想が発足した当時、いろんな人がそれに関わっていて、自分は仲のいい友人たちとキャンドルの部隊に所属していた。あの当時は、七年祭(高浜町で行われる七年に一度の大祭)や和田浜のロケット花火で若者たちが目立つイベントが盛んだった。周りにいる同年代が血気盛んに盛り上がっている。その上で、自分達が漁火想で”何”をするか。それを考えた時、自分は、来た人を”ハッ”と驚かせるようなことがしたい!と思った。そして、一つのものを完成させ、その過程をみんなで味わい、達成感を共有したいと思った。しかし、そもそも漁火想の中での”キャンドル”の役割で求められたのは「癒し」を感じさせるもので、言うなれば「静」の役割。自分が一つの演出として目指したものは「動」としてのキャンドル演出。そこがまず、一つの壁になった。そんな思いを抱きながらも、「静」の形を守りながらキャンドルの演出を進めていたが、どこかでふつふつその思いを燻らせていた。自分のその思いを知っていた人に1つ提案をされた。
「ひーちゃん、おもちゃの花火でなんかやったらいいんちゃう?」
そうか!自分達が昔から遊んでいたおもちゃの花火!これだったらコンビニでも買えるし、まだ間に合う!いける!と、そこで文字通り火がついた。そこからは本番まであまり日もなかったから、近所のおもちゃ屋さんやコンビニをみんなで走り回って必死に花火を買占めに行った。そして、漁火想当日、ただ数が多い花火を下から火つけるんじゃ面白くないって思ったから、おもちゃの花火(ドラゴン花火)をずらーっと並べて、足場を組んだ櫓の上でいっせいに着火した。もちろんキャンドル部隊として。しかもゲリラ的に。本番前はもちろんなんの告知もされていないし、舞台も用意されているわけじゃないし、もちろん「櫓龍」なんて名前もない。でも、自分たちがあーでもないこーでもないって言いながら必死に準備してたら、
「あの人たち、何するんやろ?」
って言いながらわらわらと人が集まってきて、終わった後はみんな見たことない花火を見て「感動した!」とか「面白かった」って言ってもらえた。あれは、面白かったなぁ〜。みんなでめちゃくちゃ笑ったし。みんなで達成感を味わうっていう目標はクリアできた一年目だった。これが「櫓龍」のはじまり。
そんな一年目を終えた二年目。ここではじめて「櫓龍」という名前をつけた。でも、自分達はまだキャンドルの部隊に所属していた。漁火想の組織の中でまだ櫓龍の存在は大きいものじゃなかった。名前も覚えられていないし。櫓龍としては、一年目は10人ぐらいだったけど、二年目からは30人もメンバーが増えたから、よし!これで去年よりすごいもの作るぞ!ってみんなで意気込んでいた。そして、メンバーも増えて名前もつけた新体制で挑んだ本番。
しかし、強風が吹いて予想外の花火に火がついてしまい、想像と全然違うものに。メンバーの中にはそれでも「楽しかった」っていう声もあったけど、あれは自分の中では「失敗」だったと思っている。そんな反省を抱えた上で迎える三年目。ここが櫓龍としてのターニングポイントだと思っている。三年目にして漁火想の中でも「櫓龍部隊」ができ、自分はそこの部長として漁火想に参加することになった。去年の反省と、組織の中でも整った体制。お客さんに「見せる」という意識、重圧。色んな思いを抱えてスタートした三年目。ここで自分は長として、櫓龍のメンバーに一つ提案をした。
「櫓龍の衣装を作ろう!」
これに対しては、本当に真っ二つに意見が分かれた。作りたい派・作りたくない派。作りたくない派の意見は、そんなちゃんと格好をつけてしまったら失敗した時恥ずかしい。ガチやん。ちゃんとせなあかんと思ったら楽しくない。作りたい派は、やるからにはちゃんと”見せるもの”を作りたい。本当に5対5の真っ二つに分かれたので、話し合いでは収集がつかず、メンバー内で投票することに。結果は2票差で「作る派」が多かった。よし!これでもう結果が出たし、みんな納得してくれ!と言ったけど、まぁ、まだその時はブーブーいう人もいたのも事実。でももう決まったことやし、衣装を着るからには堂々とこの衣装を着れるショーを作ろう!ということで、みんなで納得して三年目を迎えた。
その話し合いがあってから、綿密に計画を練ったし、今まで気にしなかったようなこともこの場合はどうなんやろ?とか、危機意識を持って準備をしていった。結果、反省点はあるものの、本番は「成功」と呼べるショーだった。そして四年目、ここで初めて櫓龍の協賛金を集めることになった。協賛金についても賛否両論あったけど、まず自分が思ったのは、自分たちも協賛をしてもらった人に見て欲しいし、協賛してくれた人にももっと櫓龍を知ってもらえるということ。そして、補助金を使えば楽な面もあるけども、それだと次に繋がらない。協賛金を頭を下げて集めることで、やっている本人達もこの街の人とやっているという意識も高まるし、新しく入ってきた若い子にその大切さを伝えていけると思った。どうしても人って、天辺が見えると頑張らない。頑張れないから。どこに意識を持っていくか。そこが大事だと思った。だから、櫓龍は自分が応援してるんや!と、堂々と言ってもらえるように、協賛してもらった人に対して、漁火想で使う灯篭に名前を入れたり、身近に感じてもらえるようにタオルやステッカーを渡した。そうすることで、その人たちに恥じないようなショーを作る。というある種自分たちへのプレッシャーを与えて、櫓龍の活力にした。
そしてそれから7年間自分が中心となって毎年工夫と改良を加えながら櫓龍を引っ張ってきた。でも、8年目からは長をやめることにした。本当だったら10年ぐらい続けようと思ったらできたかもしれないけど、ここはあえて自分が中心じゃない櫓龍がどうなるのか、それを見るほうがもっと
「おもしろい」
と思った。それから、崎山さん、浜瀬のみっちゃんへと代が変わり、今の惣一郎達の代へ。自分自身、代が変わって、レベルは上がってきたけど、本当に”やられたぁ〜!”と思ったのは3代目の浜瀬みっちゃんの時の「アナと雪」のミュージカル的な演出。あれは考えつかなかったな!4代目の惣一郎の櫓龍も期待は大きい。だから演出終わった後に、お世辞は言いたくないし、それを言われても嬉しくもないと思うし。ただ、本当に度肝を抜かされた時は悔しくして
”逆に、何にも言わないかも” 笑
代替わりして、櫓龍をその時その時の色で最高のものにしてほしいと思ってる。今年も楽しみにしてます!!
櫓龍 初代会長 奥本秀樹
櫓龍 4代目会長 山本惣一郎 氏 インタビュー
昔から仲のいい地元の先輩達が、漁火想という新しく始まる祭で、何かするらしい。お前も参加しろよ!っと誘われたことがきっかけで、自分もまだ名前がついていない頃の櫓龍に第1回目から参加した。はじめは、”おもちゃの花火でショー作るって絶対おもしろいやん”ってそんな単純な動機から入った。その頃自分たちは下っ端で、上にいる人たちが言うことを軸に本番までを過ごしていた。ただ純粋に、「楽しい」「すごいものをつくりたい」「本番の興奮が忘れられない」っていう気持ちで毎年参加してきた。
でも、1回目、2回目、3回目と回を重ねるごとに、どんどん櫓龍の真剣味が増していったのも肌で感じたし、真剣だからこそ、自分も年上の人と言い合いになることとか、本気で喧嘩しそうな時もあった。まぁ、言うなれば、下積み時代ってやつ。そして、奥本さん、崎山さん、浜瀬さんへと長が変わり、自分たちの世代へと交代する時がきた。自分たちの代として受け継いだとき、櫓龍は結成12年目だった。
1回目から参加してきたからこそ、自分たちは年下の気持ちも、中間にいる人の気持ちも、多分誰より分かっていた。だから、まず世代交代した時に見直したのは、「組織体制の効率化」櫓組・山組・華組・の3組を見直し、”組織”を強化。これによって、情報決定もスムーズにいったし、なにより多くて長い会議もなくなったし(笑)下積みがあったからこその目線だと思う。でも、いざ自分たちが上に立ったとき、難しい壁はいっぱいあった。すでに11年も続いてきた櫓龍で、自分達の代でコケる訳にはいかないっていうプレッシャーもあったし。それに、どちらかというと自分は”物言う下っ端”だったから、今の若い子達とは雰囲気も違っていた。年上であろうと自分がこうだ!と思ったことは絶対口に出すタイプ。でも、今の若い子達、特に新人はそうじゃない人の方が多いし、正直自分に対しても”怖さ”があるからあまり本音を言えないのかなと、上に立って初めて、意見を言わない人の意見が気になった。
そう言う意味で、人間的に成長させてもらったことは本当に多いと思う。やっぱり櫓龍はおもちゃといえど、「花火」を扱っている。過去の本番中、消防に止められたこともあった。それに、予算の関係上、花火は本番でしか着火できない。頭の中で、こう配置したらこういう見え方になるっていうシミレーションを、何度も何度も繰り返えして、みんなであーでもないこーでもないって、何時間も話して、やっと形が見えてくる、地道な作業。危機感を常に持っているからこそ、より入念に、より周到に準備をするようになった。昔だったらなんでも「おぉーそれいいやん!やろかー!」ってすぐ言ってたことも、今は自分が最後まで想像できることじゃないと「やろう」とは言わない。それがトップに立つ人の責任だと思ってる。
でも、実はそれが反省点でもある。さっきも言ったけど、”物言う下っ端”が少ないから、自分がいることで自由な発想を潰してる面もあるなと。だから、今年はどんなに経験が浅い子であっても、そいつから出てきた「発想」は潰さずに一旦聞こうって意識している。そうやってできるようになったのは、自分の周りに、信頼できるメンバーが支えてくれているから。絶対に一人じゃできない。だから、自分はほんまに今のメンバーに助けられてるって思うし、感謝は尽きない。先輩から受け継いできたもの。周りで支えてくれる人。感謝。それがあるから、自分は使命感を持ってここに立っている。
まぁ、自分はそう思ってやってるけど、実際にみんなどんな理由で櫓龍に所属してるかなんて、人それぞれやと思う。正直に。リアルに。だって櫓龍は仕事じゃないし。言ったらボランティアで、自分たちが好きでやっていること。家庭がある人もいれば、仕事が忙しい人もいたり、いろんな立場の人がいる。楽しいからとか、あいつがやってるからとか、入ってしまったし、しょうがなくとか。理由なんてほんまに人それぞれやと思う。はじめ長になったときは、その熱量の差に違和感を覚えることもあったけど、組織が大きくなるとそれは当然にあることで、ある意味逃げれないことっていうのもわかった。自分がそこで何をするか。そして、ここに集まったメンバーは本番のショーに向けて真剣にやる。ただその目的に全力で向かうだけ。ごちゃごちゃ考えるよりも、そのシンプルな気持ちの方がよっぽど大事だって、5周ぐらい回って気がついた。ただ、はっきり言って、漁火想のお客さんは8割は櫓のお客さんだと思っている。そう思って見せに行かな、自分たちはやっていけん。そして、それぐらいのもの、絶対見せる!って全員が思って本番迎えてる。これは間違いない。よく、他のインタビューとかで高浜町のために若者が頑張っています!っていう感じの紹介をされることがあるけど、実際にはそこまで思う余裕はないっていうのが本音。
自分たちは”お客さんに見せるショーを全力でする”。それに全力を注ぐだけ。
その結果、櫓龍を見て「高浜っていいところやなー」とか「地元帰ってこよかなー」とか思ってくれる人がいたらそれはほんまに嬉しいことやけど。でも、それぐらい一つのことに純粋に向かっていることが、一番人に伝わると思ってる。いろいろ話したけど、一番言いたかったのは、今年も全力でやりきります!一人一人が花火をつける瞬間の思いを、みなさんぜひ見に来てください!!
櫓龍 4代目会長 山本 惣一郎
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