2024.2.15
福井県の漁村に移住すると、自由すぎて超忙しくなった。~全力で楽しんでいいマチ・高浜町で漁師建築家になった話~
圧倒的に綺麗なビーチ、海に浮く富士山のような青葉山、そして文化の蓄積を感じる漁村集落…。そんな高浜町に出会ったのは2016年でした。7年の月日を経て、2023年6月に移住しました。記事を書く機会をいただいたので、僕こと藤本雅広の高浜移住について書こうと思います。
たまたま一緒に漁師をはじめた友人との最近の生活などについては「漁師町で、自分らしく生きる。ふたりが選んだ仕事とチャレンジ。」をご覧ください。
漁師建築家、はじめました
高浜町に移住して、朝は漁師をしながら昼は建築設計の仕事をする、という生き方をしています。大阪で約5年間、師匠である建築家の元で設計の修行をし、そろそろ独り立ちしたいという思いと、高浜に住みたい思いが重なり、移住をしました。同時に、漁師をやりたい思いも入ってきて、三つ巴の感情で移住・建築家独立・漁師デビューを叶えました。
もともと僕は地域内外の有志メンバーとはじめたまちづくり団体『高濱明日研究所(アスケン)』のメンバーだったり、高浜の漁師小屋を修士論文で研究したり、高浜と細く長いかかわりを持ってきました。そのため、関わるたびに高浜に移住する気持ちが自然と高まっていっていたように感じます。
神戸あたりの海に行くと思ってたら、連れてこられた高浜町
大阪大学で建築や都市について研究をする大学院生だった僕は、海にも福井県にも縁のない学生でした。ある日、設計事務所にいた友人から「フジモン、海の家やらへん?」と誘われました。学生のあいだに海の家を設計したり施工したりしてみたいなーぐらいで考え、面白そうなので首を縦に振ってみたところ、連れて行かれたのがここ高浜町でした。
そこからの流れは簡単に書くと、
海の家に学生として参加(2016-2017)
→修士論文で漁師小屋研究・小屋飲みを始める(2017-2018)
→設計事務所で海の家を担当・UMIKARA設計担当(2018-2021)
→高濱明日研究所/アスケン発足(2019)
→アスケン活動(2019-)→UMIKARAがOPEN(2021-)
→月1程度で定期的に遊びに来る
→移住・建築家独立・漁師デビュー(2023)
みたいな感じです。いろいろやってきましたが、移住してすぐに、わが町という感覚でいられるのは、各活動で少しずつ住んだり、まちの人と話したり、まちの人と協働したりできたおかげだと思います。移住する前に気になる町にちょっとだけ住んでみると、自分もまちの人も、心やその他の準備ができるので、移住を考えている人にはオススメです。暮らしてみて移住を決める、というステップを踏んだおかげで、酸いも甘いも知ってから移住できました。
移住した理由と、移住したかった理由
僕が高浜に住もう!と決心した理由は、大きく2つあります。まず、アスケンの活動がUSFESやコドモノ明日研究所など面白くなってきていて、「移住しないとついて行けない!一緒に活動したい!」という想いが強くなったことです。建築の仕事のことだけを考えたら、今はまだ都会の方がやりやすいけど、高浜は大阪まで2時間でいけるし、田舎でもできる!と踏んで移住独立しました。
せっかく漁師町に移住するのだから漁師やってみたいと考えていたので、アスケンのメンバーの漁師に相談。大型定置網に紹介していただいて、体験乗船の上、みんなで力をあわせて自然と向き合い魚をとる魅力に感動し、やりたいです!と言いました。
移住したもう一つの理由は、数年関わってきて、高浜町にしかない、1次産業と連続した集落の景観に惚れたことでした。
▼日本海にしかない、漁師小屋が並ぶ景観
冬の海が荒れるため、舟や漁具を守るための漁師小屋群。学生の頃に、この小屋群について修士論文で調査し、この場所独特のカタチをしていることが分かりました。45軒ならんでいますが、漁師の利用は2軒になり、他は倉庫利用や空き家がほとんどになりました。UMIKARAの設計を担当した際、この独特の景観に合わせて現代建築をデザインしました。小屋型の新しい建築で海際が盛り上がるなら、昔からの漁師小屋群も利活用して盛り上げたい!という思いがあり、漁師小屋でお酒を飲む「小屋飲み」をはじめました。
そこから「高濱明日研究所」が立ち上がったので、一緒に活動してくれる心強い仲間もでき、移住を決意し、漁師小屋活用プロジェクトも動き出しました。
意外にめちゃ忙しい、高浜での生活
朝の漁師も見習いながら慣れ始め、冬の日本海での漁が本番を迎えました。建築の仕事も独立後すぐなのに依頼をいただき、2件ほどデザインさせてもらっています。
それに加えて漁師小屋で釣具屋をはじめたり、サウナをやりたかったり、やること/やりたいことが多すぎて、めちゃめちゃ充実しています。車の免許も、ないとダメだと焦り、教習所に通っています(笑)。
家は、いまは知り合いの持ち家を借りて生活していますが、漁村集落の古い家を買いました。かなり老朽化していますが、土地付き2階建てとしては安すぎる値段で購入しました。コンクリートブロック造の家で、今では中々ない建築で面白く、海や漁協の見える気持ちのいいお家だったので、即購入でした。
購入した家は、大学時代の恩師・友人や漁師の先輩たちを呼んで内装解体などを楽しく行いつつ、設計を進めています。自分たちの家を自主施工でつくるみたいな事もしていきたいですね。
家の改修に加えて、漁師小屋を利活用した「海の五十貨店プロジェクト」も行っています。
ここにしかない漁師小屋の景観がほとんど使われてないのはもったいなさすぎるので、うまく活用して、「百貨店までは高浜に要らないけど五十貨店ぐらいは欲しいなあ」と始めたプロジェクト。産業・観光の盛り上がる海際と静かな漁村集落の間に並ぶ小屋群を利用して、地元の生活の延長線上で観光にもサービスを提供できる五十貨店をつくっていこうとしています。その第一弾が、この「無人釣具屋えびたいしょう」。
海際から釣具屋がなくなった高浜町で、釣り客のニーズを満たしつつ、まちの人も友達や親子連れで遊びやすくなったと嬉しい言葉をいただいています。
僕は建築・まちづくり系の人間なので、漁師小屋の利活用をしながら、同時にまちの課題も少しずつ解決していきたいと考えています。この場所のポテンシャルをさらに上げられる建築をつくるだけでなく、夜の暗いみちを少しずつ照らしていったりもしています。
今年は漁師小屋サウナもやりたいと思いますが、これによって近くのビーチでサウナ後の外気浴ができたり、単純にビーチ後にお風呂に入って帰れるような環境の妄想をしています。友達も乗り気になってくれて、海際の景色を見ながらゆっくりできる場所として、「漫画喫茶いっしょにやろう」と言い出してくれてます。
こんなことばかりしているのでお金が飛んでいくんですが、漁師のお給料と建築家としての収入で、暮らしていくにはギリ困らない程度で生活+漁師小屋プロジェクトができています。
意外にめっちゃもらえる、激アツ支援金たち
お金ないのにどうやって漁師小屋を盛り上げようか悩みつつ高浜に移住して、移住や創業関係の補助金がたくさんあることに驚きました。めっちゃ助かったものを簡単に紹介しておくと、
・県のUIターン創業支援 (創業資金の2/3・200万円まで補助。奨励金100万円もあります。)
・町の移住支援金 (東京圏から→60万円、その他全国から移住→30万円)
▼県のワクワクチャレンジプランコンテストにも参加 (プレゼンが通れば支援金100万円)
などでした。また、その他にも結婚したら申請して20万円の地域通貨のもらえる町の結婚お祝い金、創業資金の2/3かつ100万円まで補助のある町の創業支援金や、移住者への奨学金返還サポートなどもあり、やたら充実している、、、と思います。
上記全てを申請しても、事前に払わないといけないお金もあり厳しいので、全部は申請していません。でも全部足したら、、、と思った記憶があります。いただいたお金は、漁師小屋の改修にあてたり、設計活動のための事務所開業準備にあてたり、まちづくり等の活動費として活用しています。
高浜で面白いことをしながら生きていくためには、これ以上ない助けになりました。来年は家の改修があるので、リフォームや、住宅取得の補助金等も申請しようかと思いますし、将来的には子育て支援関係も助かるだろうなあ、という印象です。
あんまり書きすぎると補助金の回し者みたいですが(笑)、いただけるものはいただいて、やりたいことをやるときには、移住だろうが補助金だろうがなんでもやるといったマインドです(笑)。
これからどうしてくの?何年いるの?という問いについて
とりあえず10年、その後はその時考える、というスタンスです。田舎ってかなり封建的なイメージでしたが、高浜町はすごく新しいことに前向きで自由な感覚があるので、10年はすぐ経ちそうです。以前から町をよく歩いていたので、「なんか高浜町を愛している変なヤツがいる」という地域の認識があり、皆さんとても協力的に接してくれて、自由にしています(笑)。もちろん、地区の行事等はそれなりにあるので、よく出席をお願いされますが、これは田舎移住の醍醐味として楽しんでいます。
下関で20年育ち、大阪で10年学び、いま30歳で移住したので、とりあえず10年、実践と活動の期間と考えています。ある程度自由に実践してよい場所として、高浜はとてもよい町です。ここで活動し、自分にできることを一生懸命やってみようという気持ちです。
漁師も建築家も、10年では全然ホンモノにはならないので、やめる気も、出ていく気もさらさらありません。僕の育った小学校の教訓が「ほんものはつづく・つづけるとほんものになる」なのですが、僕の人生は場所は点々とするし新しいことは始めるし、始めたらやめないのでやることが増える一方なのですが、なんとか人生で「ほんもの」というものをつかめたら面白いな、と思っています。
10年後はどんな時代かもわからないけど、10年ぐらいの覚悟は背負って、漁師建築家&漁村活動家としてこれからの時代を高浜でたのしんでいこうと思います。